川越市といえばなんといっても蔵作りの町並み。それだけに川越が辿ってきた歴史を知っておくことは重要です。まずその地名の由来。そのルーツはよくわかっておらず、周囲を川に囲まれており、それを越えなければたどり着くことができないことからつけられたといった説、あるいは川によって土地が肥えることから「川肥」と名づけられたという説もあります。ただ、現在の川越市の直接の由来は平安時代にこの地を本拠地としていた河越氏となっています。

この地域は縄文時代には市の南東部にまで海が入り込んでいた状態でした。そのため小仙波貝塚をはじめとする貝塚も発見されています。さらに奈良時代以降には古墳も築かれており、埼玉県最大規模の古墳となる三変稲荷神社古墳や全国的にも珍しい上円下方墳の山王塚古墳など、古くから継続して人が生活してきたことがわかっています。

平安時代には荘園制の発達とともに富を蓄える豪族が台頭してくることになります。その代表格が地名の由来となった河越氏。この河越氏とともにこの地域は発展していくことになります。しかし河越氏は中世末期に滅亡、以後は扇谷上杉氏の所領となり、あの太田道灌によって河越城が築かれています。

江戸時代には、酒井家を藩主とする川越藩の中心地として発展していくことになります。とくに江戸の北の守りとして重要な役割を果たし続けます。なお、この時代には「河越」から現在の「川越」へと変化しました。

近世に入ると1871年に川越県が誕生、その後入間県への編入を経て埼玉県に編入されることになります。1922年には市制が施行され、川越市としての歴史がはじまったのです。

川越城本丸御殿

川越城本丸御殿は、江戸時代からの歴史があり埼玉県の指定文化財にもなっています。城、歴史的建造物としても見どころ満載ですが、その周辺は神社や公園もあり、市民の憩いの場にもなっています。もちろん観光資源としての役割も重要で、川越城本丸御殿にはたくさんの観光客が訪れます。もともとは広大な土地に建てられていた本丸御殿ですが、明治維新の後に解体され、現存しているのは玄関と大広間、移築して復元された一部のみとなっています。それでも当時の迫力と風情はしっかり残っていて、見る者を圧倒するでしょう。また内部の部屋ごとの扉には杉戸絵が描かれており、御殿と呼ばれるにふさわしい内装になっています。大広間に残る絵板戸や、家老詰所には当時の城内の様子を再現した人形も置かれ、江戸時代の家老の様子を垣間見ることができます。

この本丸御殿は、蔵づくりの建物群で有名な一番街からは少し離れていますが、川越に行ったらぜひ訪れたい場所のひとつです。日本名城100選に選定されており、中には当時を偲ぶ資料なども数多く展示されています。また近くには新河岸川が流れていて、春には桜並木が美しい景色を作り出します。さらに周辺には博物館や美術館もあり、さまざまな展示物によって川越の文化と歴史に触れることができます。

川越藩の象徴であるこの川越城本丸御殿は、江戸時代の歴史と息づかいを今に伝える重要な役割を担っています。川越の蔵づくりの街並みとともに、今後も歴史を刻んでいくことでしょう。